なんとか自分を元気にする方法

女赤ひげドヤ街に純情す/佐伯輝子

女赤ひげドヤ街に純情す

女赤ひげドヤ街に純情す

「寿町のひとびと」

神奈川県横浜市中区にある寿町(ことぶきちょう)という街を知ったのは、朝日新聞出版のPR誌『一冊の本』からだった。

『一冊の本』は朝日新聞出版の新刊本を紹介・PRするのが主な目的の月刊誌だ。また本の紹介以外にも読み切り/連載形式のエッセイ・小説・読み物も載っていて、毎月自宅に郵送されるのを楽しみにしている。

PR誌は、朝日新聞出版の他にも新潮社、小学館など各社が発行しているが、一冊100円程度という価格の割に当代一流の書き手が連載をしていて大変読みごたえがある。

読むことが好きな人なら購読しないと損だと思う。本の紹介もあるので、この小冊子から読書の楽しみは無限に広がる。小型で薄いので持ち歩きにも便利(朝日の『一冊の本』は薄め、新潮社の『波』は厚め)。

さて、話は戻って「寿町」。

上記の『一冊の本』に連載されていた山田清機氏の「寿町のひとびと」で初めて町名を聞いた(「寿町のひとびと」はもちろん山田氏の『東京タクシードライバー』も面白かった)。

聖母・佐伯輝子

寿町は、日本三大ドヤ街の3番目だそうだ。

ドヤ街というのはあまりなじみがないが、日雇い労働者が集まって生活している街のことである。安価な簡易宿泊施設があるために当座お金がない人が自然に集まってくる。

『女赤ひげドヤ街に純情す』は、この寿町の診療所で初代所長兼医師をつとめた佐伯輝子(さいきてるこ)医師が、寿町診療所の始まりから3年間に起こった出来事を日記調でつづった本である。

筆舌に尽くせないほど面白く、読みごたえがあり人間の勉強にもなる。

なによりも佐伯輝子医師自身が素晴らしく、まるで聖母。ダメダメな寿町の住民に対して厳しくも優しいお母さん役を引き受けている。といっても神田生まれなので口説・筆致はサバサバしているのだが・・・。

『女赤ひげドヤ街に純情す』は1979年から1982年の3年間の記録である。40年も前の話だ。

正直ドヤ街の住民というのは想像していた以上に生活が崩れている。佐伯医師の医師仲間が彼らを「人間のクズ」と呼ぶのもうなづける。

でも冷静に考えれば、生まれながらの「人間のクズ」はいない。なんらかの理由があって今の状況におちいってしまったのだ。

佐伯医師もその理由を考えるが、理由は人によってさまざまであり答えは出ないようだ。

結局、なんらかの理由によって「人間のクズ」と呼ばれるレベルまで落ちこんでしまった人を、健康面からサポートするのが佐伯医師の仕事となる。

なにしろアル中が多いのでお話にならない。相手は正気ではないからだ。それでも佐伯医師はだれひとり見捨てない、差別しない。

職業倫理といえば聞こえがいいが、ドヤ街の住民に対して倫理を実践するのは簡単ではない。
それは寿町診療所の医師を募集しても5年間志願者が一人も現れなかったことからもうかがえる(佐伯医師も横浜市の医師会からたのまれて悩んだすえに引き受けた)。

何度も身の危険にさらされながらも(佐伯医師はボディーガードをしたがえて診療にあたる。ボディーガードの数はどんどん増えていった)、佐伯医師は患者一人ひとりと真摯に向き合い、健康改善、生活改善のサポーター役を積極的につとめていった。

患者たちはひねくれてて最初は心を開かないが、佐伯医師の献身・熱意にほだされて、じょじょに胸襟を開いていく。佐伯医師が他の医者とはまったくタイプが異なる人間だとわかると急速になつき始める。

佐伯医師と患者の関係は先生と生徒のようなものであり、母親と子供のようなものでもある。

肝っ玉母ちゃんの話

自分のような普通の人生を歩んできたものには考えられない現実が本書では描かれる。いちばん印象に残ったのは「肝っ玉母ちゃん」の家族のことだ。

肝っ玉母ちゃんの夫婦には子供が13人もいるという。家族は生活保護を受けていて、子供が増えると手当ても増えるので、とんどん産み続けたようだ。

肝っ玉母ちゃんのお産は軽く、産婆さんが来る前に産まれてしまうので、かわりに父ちゃんが赤ん坊を取り上げてへその緒を長めに切る。
そして、動物のように赤ん坊をきれいになめるのだという・・・・・・

そんなトンデモ話が記録されている。

一方、ダメ人間ばかりではなく、生活をたてなおして寿町を出ていく人もいる。
基本的には地獄だが、ときどき天国が見える寿町で、佐伯医師はズブズブとその魔力と魅力にはまっていく。

佐伯医師の現在

ふと佐伯医師は今どうしているんだろう?と思い調べてみると、Wikipediaにページがあった(かなり詳しい)。

2019年8月現在90歳だという。
寿町診療所は『女赤ひげドヤ街に純情す』の後も続け、結局32年間勤めあげたという。

他の誰にも真似できない佐伯医師の立派さは紫綬褒章ものだと思っていたら、実際に藍綬褒章なるものを国から贈られたらしい。

聞きなれない藍綬褒章とは「教育衛生慈善防疫の事業・・・に関し公衆の利益を興し成績著明なる者又は公同の事務に勤勉し労効顕著なる者」に授与されるもの。

よく聞く紫綬褒章とは「学術芸術上の発明改良創作に関し事績著明なる者」に授与されるものだそう。

佐伯医師の献身は神様レベルだからどんな褒美をもらっても間にあわない。

『女赤ひげドヤ街に純情す』は古い本で入手しにくかったので図書館で取り寄せて読んだ。

すべての人に絶対おすすめなので、ぜひ読んでみてください。

モバイルバージョンを終了