なんとか自分を元気にする方法

クワイ河捕虜収容所

クワイ河捕虜収容所
(地獄を見たイギリス兵の記録)
レオ・ローリングズ(著・イラストも)

AND THE DAWN CAME UP LIKE THUNDER
by Leo Rawlings
出版日 1972/1/1

あらすじ

著者のレオ・ローリングズ氏はイギリス人だ。兵士として1941年12月にシンガポールに配属された時23歳だった。

1942年2月に連合軍は敗北し、シンガポールは日本軍に引き渡された。

そしてイギリス兵を含む連合軍の兵士は日本軍の捕虜となった。

それから連合軍捕虜の地獄の生活が始まり、ローリングズ氏のイラストによって克明に記録された。

地獄の生活は、1945年8月に広島・長崎に原子爆弾が落とされ、日本が戦争に負けるまで続いた。

感想

第二次世界大戦に関する日本人が書いた小説やドキュメンタリー本を読んだことはあるが、イギリス人が日本軍について書いた本を読むのは初めてだった。

この本はイラストがメインなので、古本屋で購入してから実際に読むまでにはかなりの時間がかかった。

どぎついイラストを見るのが恐かったのだ。

今年の正月はたまたま一人でのんびり過ごす時間があったので、勇気を出して『クワイ河捕虜収容所』に臨んだ。

予想に反して、ローリングズ氏のイラストは、白黒のやわらかいタッチで描かれた刺激の少ないものだった。

小学生の頃『はだしのゲン』を読んで以来、戦争関連のイラストというと恐怖心を呼び起こされるのだった。

もちろん日本軍の残虐性を表現したイラストが文章と共に収録されているが、その割合はとても少ない。

(イラストは本の最初から最後までほとんど2ページに1ページの割合で多数収録されている)

そしてどのイラストも、私がこれまでに見聞きしてきた日本軍の残虐性を伝える内容よりもソフトなものだった。

だから最初からこの本の内容は恐れるに足りなかったのだ。

日本人の私にはこの刺激に対する免疫がすでにできているので。

ローリングズ氏も、中国での日本軍の残虐行為については知っていた。

第一次大戦の悲惨な戦争の様子もよく聞かされていた。

しかし、1942年からの3年間強に実際に体験したことは想像も及ばない非人間的な仕打ちだったようだ。

イギリス軍での食事はよかったが、捕虜の待遇ではほとんど栄養のない臭い飯を少量与えられ、捕虜は栄養失調から脚気、壊疽、赤痢、コレラなどにかかりやすく、酷暑の不衛生な環境で薬もなく、日常的に次々と死んでいった。

トイレ事情も赤痢患者がいるにもかかわらず最低最悪だった。

日本軍は捕虜の食事や健康には一切関心がなく、どんな重症患者でも1日10時間を超える労働に従事させて酷使した。

陸路補給に不可欠であったタイ-ミャンマー間を連絡する泰緬鉄道を建設するためだった。

ローリングズ氏が書いているように、捕虜たちはまさに奴隷として使役された。

日本人には国際感覚が希薄で、赤十字のマークのついた列車をあえて爆撃するなどしてローリングズ氏を驚かせた。

日本人にとっては「戦争ってそういうものでしょ」という感じもあるが、他国の人にとっては違うのだろうか?

またローリングズ氏は、日本軍が不必要に捕虜を辱めて嗜虐心を満たす性質があることを指摘している。

日本人は残虐で執拗だと感じるようだ。

日本人は同じ日本人に対しても軍隊で自分の嗜虐心を満たすためだけに執拗に粘着質ないじめを行うことは有名だ。

そういうタチなのだと認めるしかない。

ローリングズ氏は壊疽や赤痢にかかりながらも運よく戦争を生きのびた。

地獄的な状況でも精神の高潔さを保ち、栄養不足にもかかわらず、これだけのイラストを描き続けたのは驚嘆に値する。

また、1970年代に日本にも本書を紹介することを決心した翻訳者の永瀬隆氏は1943年当時、現地通訳として泰緬鉄道の建設に関わっていた。

粘り強い文通での交流の末、ローリングズ氏から日本での翻訳権を譲渡された。

戦時中の敵と味方が、戦後親友関係を結ぶことができたという事実は私たちに希望を与えてくれる。

Leo Rawlings – War artist on the death railway(原文の一部がイラストと共に掲載されている英語サイト)

■クワイ河捕虜収容所―地獄を見たイギリス兵の記録 (現代教養文庫)■

クワイ河捕虜収容所

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