『愛という名の支配』を読んで
『愛という名の支配』は1992年に出版されたフェミニズム本だ。
約30年前の女性差別の状況が書かれているが、状況は今もまったく変わっていない。
日常的に「生きづらい」「しんどい」「思うように生きられない」「もっと自由に生きたい」「家事から解放されたい」「家事はタダ働き」「家事を真面目にすればするほど男からバカにされる」「女ばかりが損をしている」と感じている人は『愛という名の支配』を読めば、そこに今まで自分が不満に感じていたモヤモヤのすべてが言葉で記されているのを知るだろう。
つまり女性が直面している問題は多くの女性に共通する問題で、あなた個人が原因でも、悪いわけでもなんでもない。あなたの家庭だけの問題でもない。
日本という国全体に共通する問題で、何世代にもわたってなにげに維持してきた、日本の社会のどこを見わたしてもはびこっている問題なのだ。女性差別は。
女性差別はまるで宗教のようだ。日本中で信仰されており、もう当たり前の正しさすぎて日常的には目に見えない。
実際、社会の隅々で、女性差別教の宗教教育がおこなわれている。
女の子は女らしくふるまうことを2-3歳から学び始める。家庭で両親の姿を見て、保育園、幼稚園でも・・・
おとなしく、やさしく、かわいく、スカートをはいて、髪の毛が長くて、赤やピンクが女の子用の色で、順番は男の子が先、女の子があと、率先して行動するのは男の子で、それをサポートしたり、見守っているのが女の子などと。
田嶋陽子氏は書いている。
よく、女は生まれながらにしてやさしいとか、細かいことが得意だとか言われますが、あれはウソです。個人差はべつにしても、あれは学習の効果です。
私は女は生まれながらにしてやさしく、細かいことが得意だと、この文章を読むまでは思っていた。
なにしろ物心ついたときから「女は女らしく」という女性差別の教育を受けているので、それが間違ってるとか判断できない。
父親ではなく、とくに女である母親が子どもの頃から女性差別を頭に植えつけてきた張本人なのだ。
男尊女卑。つねに男性を立てて女性は控えめに。学問をしすぎるとかわいくなくなる。生意気になる。結婚して子どもを生み育てるのが女の幸せな生きかた。
必死でそのように娘を洗脳している母親はぜんぜん幸せそうではなく、救いをもとめて宗教にはまっていた。
が、その宗教も男尊女卑を推奨していた。女が男を立てるのは正しい道なので、苦しくても耐えろと。苦しさは修行の一環なのだと。
母はどこにたどりつきたかったのだろうか・・・? 女が救われる道はないのだろうか・・・?
近年は宗教教育の効果もむなしく、さすがの母親も我慢の限界を超えたみたいで、従順な妻をやめて夫を悪しざまに罵るようになった。
やはり誰しも他人優先では生きられず、自分の生をまっとうしたい本能があるのだろう。
それなら人生の早い時期から自分本来の生きかたを追求したほうがエネルギーや苦労のムダがないのでは?
「男らしさ」と「女らしさ」と「自分らしさ」
本書に書かれている「男らしさ」と「女らしさ」のリストと分析が面白かった。
男に期待されている「男らしさ」の資質をみると、「行動力、リーダーシップ、理性、自由、夢、……」と、それこそ自立した一人の人間に必要なものがすべてこめられています。
一方、「女らしさ」をみると、一人の人間になるために必要な資質というより、人に気に入られたり、人のお世話をしたり、すぐだれかの役に立ったり、人間関係を円滑にしたりするために必要な、だれかにとって便利な資質という気がします。
学生が言っていました。男の学生は、「男らしさ」と「自分らしさ」とが重なると。女の学生は、「女らしさ」を生きることと「自分らしさ」を生きることとが重ならないと。
上の長い文章は『愛という名の支配』からの引用だが、「なるほどな〜」と目からウロコが落ちた。
たしかに社会全体から暗に求められる「女らしさ」を維持しようとすると、まるで手足が縛られたように身動きできなくなり、自分のやりたいことがなにもできなくなる。
「気配りのできるやさしくて従順なかわいい女」は、男をサポートしたり、男からサポートされたりするには好都合だが、自立して一人で生きていくには弱すぎる。
そんな女はまるでバカじゃないか。そして実際に男からバカにされて生きている。
「行動力とリーダーシップに富み、理性的かつ自由に自分の夢を追求する男」と社会で対等に闘えるだろうか? いや、明らかに負けるだろう。
それぞれ子どものうちから「女らしさ」「男らしさ」の教育を受けているのだから女はとても不利な条件で生きている。
自分らしく生きるためには?
田嶋陽子氏はフェミニストの闘士のようなキャラクターで知られているが、『愛という名の支配』を読むと、生まれたときから雄々しくたくましくカッコよかったわけではないとわかる。
私たちと同じように小さいときから女性差別教育を母親から受けてきて、劣等感のかたまりで、いじけた性格だった。
そんな子どもが今の田嶋陽子になるまでの軌跡は本書に書かれている。「女らしさ」の呪縛から逃れるヒントも書かれている。
頭に埋め込まれた「女らしさ」は女性を拘束して身動きできなくするコルセットのようなものだ。
だから自由にのびのびと好きなように生きたければ、「女らしさ」を脱ぎ捨てればいい。
期待される「女らしさ」の資質は女を男のペットあるいは奴隷にするための完ぺきな道具だてなのだ。
そのことにほとんどの人は気づいていないし、日本社会は昔から変わらず男尊女卑を推奨するように自動運転されている。
男にどんなに逆ギレされても「女らしさ」と反対方向に進むしか自分らしく生きる道はないのだ。