いとうせいこうとみうらじゅんが一緒に仏像を見に行く人気シリーズの第1冊目。
私は『海外編』を最初に読んで、面白かったのでシリーズの原点である1冊目に戻ってきた。
ちなみに仏教とか、仏像にはそれほど興味が強くない。
見ればいろんなことを感じて、いろいろと分析したくなるけど。
むしろ「みうらじゅん」が仏像をどう捉えるのか、「いとうせいこう」が仏像を見てなにを思うのか?を読むのが楽しく、興味深かった。
なにしろ普段、自分以外の人間が仏像を見てどう感じるかなんて知る機会がない。
旅行の一部としてたまに夫と寺を訪れて仏像を見たとしても、寺の中では基本的に黙って静かにしているし、寺の外に出てもそれほど感想を述べ合うわけでもない。
感想は、仏像よりは寺全体に対するものになりがちだ。
だって、仏像に対する感想を説明するのは難しい。
その点、「いとうさん」と「みうらさん」は仏(ブツ)に対して饒舌だ。
とくに京都出身で小学生の頃から仏像好きだったみうらさんの語りは特異で群をぬいている。
みうらさんは仏像たちを、ビートルズのようなロックスターにたとえるのが好きだ。
というか彼の頭の中では、仏たちはカッコいいロックスターなのだ。
みうらさんと物事の捉えかたが違ういとうさんが見仏記の本文を書いている。
いとうさんは分析的、みうらさんは直感的に物事を捉える。
いとうさんも書いているが、2人の感性は対照的だ。
みうらさんは本書のイラストを描いている。
イラストの中に言葉も記入されている。
『見仏記』のいとうさんの文章も、みうらさんのイラストも、ついでに安斎肇氏の装幀もとてもいい。
仏像語りの辛気臭さ、抹香臭さが皆無でいい。
見仏がこんなに楽しい趣味になるなんて驚きだし、新しい。
そして『見仏記』を読むと、やっぱり仏像を見に行きたくなる。
ガイドブックに載っているような寺以外にも、いい仏像がたくさんあるということがわかった。
私は宗教や寺や人々の信仰心などをバカにしている枯れた人間だ(仏像は美術品として良いと思うが)。
夫は仏教や寺が好きだが、私と一緒に寺に行っても心の底から楽しめないので、最近はあまり行かなくなった。
私が「仏像を見に行きたい」といえば、どれだけ驚くことだろう。
なかなか行きづらい僻地の寺などはとても静かで、のんびりしていて、雰囲気がよさそうだ。
毎日東京で暮らしていると、とても疲れる。
たまには本当の田舎に行って都会の垢を落したい。
見仏は、新たな旅行の場所選びのきっかけになりそうだ。
私の提案にきっと夫は最初とても変な顔をして、警戒して、とりあえず話に乗ってみて、そのうち慣れて、私が見仏に目覚めたことを喜ぶだろう。
『見仏記』の読みどころの一つは、いとうさんとみうらさんの間に生まれるいい感じの友情だ。
いとうさんは思いやりのある繊細な人で、いつもみうらさんの気持ちを気づかっている。
みうらさんの突発的で奇矯なコメントもやんわりと受け入れ、理解を示している。
一方、あのみうらさんも、発想や言葉は風変わりなところがあるが、中身は仏像好きだった小学生のままにピュアで繊細なところがある。
2人は『見仏記』の旅を通じて、互いを仏友として認め合う。
言葉では多く語られない2人の友情が行間からふんわりたちのぼってくるのがたまらない。
仏像に興味がない人でも楽しめる『見仏記』おすすめです!