『街道をゆく』を読むと旅したくなる
学生の頃から欧米の文化に対するあこがれが強かった。
自分とまったく違うものに惹きつけられた。
だから一見日本と同質におもえる中国は今までほとんど視野に入らなかった。
ましてやその一部(?)である小さな台湾などは・・・
しかし年をとって欧米熱も一息ついて、今まで関心を抱かなかつた地域に遅まきながら目が向きはじめた。
どの地域を学ぶにしても、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズは良いテキストになってくれる。
読む前は知識がほとんどゼロでも、読んだ後は歴史ごと詳しくなる。
それも学校で教わるような平板な歴史ではなく、その地域を形づくって現在に至らしめる歴史のキモを司馬さんは分かりやすく語ってくれる。
現地の人の体温までもが伝わってくるようだ。
自分とはまるで無関係な場所でも旅に行きたくなるほど『街道をゆく』の文章は魅力的だ。
台湾紀行
中国をテーマにした『街道をゆく』を何冊か読んだ後、『台湾紀行』を図書館で借りてみた。
まだ読みはじめていないときに、職場の同僚が台湾のパイナップルが入ったお菓子をくれた。
台湾で買ったものではないというが、なぜお菓子をくれたかは謎だ。
ともかく台湾のお菓子が先陣をきり、台湾紀行がはじまった。
すぐに私は台湾について何も知らなかったことに気づいた。
中国と台湾は昔から一体化して数千年の歴史を駆け抜けたわけではなく、ごくごく浅い付き合いであるようだ。
司馬さんによれば・・・
台湾は、清朝の国土なのか、それとも領有・非領有のさだかならぬ”雑居地”なのか、よくわからない島だった。
国際法上、明確に領有権がはっきりしていたのは、1895年から50年間、日本国領土だったときである。
その日本が、1945年、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏することで、台湾を放棄した。
台湾は日本だったのだ。
台湾人は日本人だったのだ。
第2級国民としてあつかわれ、差別された。
1945年9月からは蒋介石麾下の中国軍に占領されることになった。
日本が台湾を統治していたということは聞いていたが、『台湾紀行』に描かれているような
長くて深い付き合いがあったことはイメージできなかった。
約50年間日本だったということは、生まれて50歳まで日本人として暮らして、それから中華民国になったということなので、日本語が話せるのは当然で、日本名もあるし、ある日突然見捨てられたという感覚らしい。
1945年に台湾の国語は北京語に変わった。
司馬さんは日本統治時代に生まれて日本語で教育された人たちとも会って、語り合った。
不条理な過去の歴史があったことをわきまえつつ、今はなごやかに話ができるというのはすごい。
蒋介石のあと台湾総統になった長男の蒋経国が亡くなると、憲法の規定により副総統であった李登輝が1988年に最初の本島(台湾)人の総統になった。
李登輝氏も22歳まで日本人だった。
司馬さんは、李登輝氏とも会って話をした。
李登輝時代から台湾人は台湾を取り戻し、再スタートを切ったのかもしれない。