中国とのかかわり
音楽についての本質的な話や原始的な話を作曲家の武満徹と指揮者の小澤征爾がざっくばらんに語り合った貴重な記録。
最初に意外だったのは、2人とも6歳までの子供時代を中国で暮らしていたこと。
武満は、東京生まれ。北京と主に大連で育った。
小澤は、奉天(瀋陽)生まれ。北京で育った。
このため2人とも中国に愛着をいだいている。
最初の音楽とのかかわり
武満の父親は音楽好きで、武満も大連にいた頃からレコードでジャズなどを聴いていた。
小澤の母親はキリスト教徒で、小澤も日曜学校で讃美歌を歌って音楽を覚えた。音楽好きの3人の兄弟の影響も大きかった。父親は都々逸が好きだった。
西洋との音の違い
日本とヨーロッパで鳴らす楽器の音は違うという。
ホール、湿度の関係もあるが、それだけではないと2人は語り合う。
日本のせせっこましさ。トランペットだと口先と出口だけで鳴らしてしまう。
途中の管に充分空気がかよっていないので、豊かな金色のいい音が出ない。
日本人の音のいつくしみ、愛の問題だと武満は語る。
あなた(小澤)の音楽を素晴らしいと感ずるのは、その愛し方だよね。音のいつくしみ方のちがいだよ。音を自分で掴んでみよう、触ってみようとするわけでしょ。
音楽教育について
小澤は、恩師の斎藤秀雄に言われて、アメリカのタングルウッドで教えはじめた。
いざ教え始めると、時間を忘れて指導にのめりこむ。
武満も、エール大学で、他の肝心なことができなくなるくらい教育に夢中になってのめりこんだ。
教育には麻薬的な魅力があると、小澤は語る。
指揮について
小澤征爾は一流の指揮者だけれども、この対談の中では、あのときいかにうまく指揮ができなかったか、失敗談などが語られる。
対談時、小澤は46歳、武満は51歳だった。
一方、魔法使いのように指揮棒をふるう(あるいはふるわない)小澤の指揮の先生たち(斎藤秀雄、シャルル・ミュンシュ、ヘルベルト・フォン・カラヤン)についても語られる。
シャルル・ミュンシュは、やっぱり天才だね。オーケストラを、雰囲気で弾かしちゃうんだよ。酔っ払ってるみたいな足どりで出ていってね、サーッと振る。その瞬間にもう完全に彼がオーケストラの主役なわけ。
武満の作曲の先生は、清瀬保二だった。
他にも、以下のようなテーマについて語り合われる。
・現代音楽は必要か?
・国家と芸術家の理想的な関係とは?
・日本のオペラ事情
・「御上の音楽」意識
・小澤と中国オーケストラ
・小澤の愛国心