(※ネタバレありです)
『聖なるズー』は、そんなにいかがわしさはなく、むしろ読んでいくうちに心が静まっていくような本だった。
ドイツで取材される「ズー」と呼ばれる登場人物たちの語り口が静かなせいかもしれない。
いちばんの主役である犬たちは言葉を話さないし・・・
落語に『元犬』という演目がある。人間になりたい白犬が願をかけて願いを成就する滑稽話だ。
ドイツの動物性愛者団体「ゼータ」のメンバーは、逆に動物になりたい/自分の立ち位置を動物の側に近づけたい人たちに思えた。
そっちの世界のほうが人間と付き合うよりも静かで平和だからか?
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著者の濱野ちひろ氏は1977年生まれ。
19-22歳、大学生の頃にパートナーから暴力を受ける。
22-28歳、就職しても同パートナーと付き合っていた。離れている時間が多くなり身体的な暴力は減ったが、精神的な暴力・支配関係は続いていた。
28歳で同パートナーと結婚した。
結婚から9か月後に身体的な暴力を振るわれ、両家にカミングアウトして離婚。
ついにパートナーとの関係を終わらせることができた。
動物が自分の深い傷をなめて癒やそうとするように、たぶん著者は自分に起こってしまった深刻な問題を解決するためにセクシュアリティの問題に向き合った。
テーマはたまたま「動物をパートナーにする人たち」になった。
『聖なるズー』の内容は当初予想したようなショッキングで過激なものではなかった。
人間の性をめぐる問題は刺激に満ちているが、動物がかかわるとそれは「自然なもの」という受けとめかたになるようだ。
ゼータのメンバーは人間社会のルールよりも、動物のルールに自分をあてはめるほうがしっくりくるタイプの人たちのようだ。
子供の頃から犬などの動物を飼っていて、動物が大好きで、もともと動物との距離が近い生活を送っている。
彼らの話を聞いていると、人間と動物との愛もアリなんだと納得させられてしまった。
新しい扉が開いて、この世界の可能性が広がっていく。選択肢が1つ増えたのか?
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たとえば異性愛者/同性愛者が生まれながらに異性愛者/同性愛者であるのと同様に、動物を自分のパートナーとして選ぶズーたちも、もともとその素質がある人が多いようだ。
『聖なるズー』の登場人物はドイツ人が大半だが日本人のズーも1人登場する。
同性愛者と同じように思春期に自分のセクシュアリティが他の人たちと違うことに疑問を抱きとても悩んでいる。
彼は著者と悩みについて話し合うことで少しは楽になったようだ。
そして『聖なるズー』に日本人のズーが登場したことにホッとした。
きっと日本には他にもズーであることに悩んでいる人たちがいて、この本を読んで救われると思うからだ。
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ズーたちがよく使う重要なキーワードは「動物のパーソナリティ」と「動物との対等性」だ。
つまりは人間を動物の上位に置いて支配せず、あたかも人間に対するのと同等にていねいに関係を築くこと。
興味本位で読み始めても、最後には今までなかった新しい視点を獲得できる。どんな人にもおすすめの本です。
<追記>
日本のズーが室井滋著『まんぷく劇場』に登場。室井滋の知人Sさんで、お相手は白ヤギだ。やっぱりアリなんだ。