とても貧乏なときに休んだりもしたが、ここ5年以上はずっと朝日新聞を購読している。
直近で購読手続きをする前に、ポストに入っていたハガキで申し込み東京新聞の試し読みをしたり、コンビニで読売新聞、毎日新聞、産経新聞を買って読み、購読紙を吟味したりした。
が、実家でも朝日新聞をとっていて内容や文体になじみがあることもあり、やっぱり朝日新聞に落ち着いた。
ここ数年、新聞にはまっていて、毎日最初から最後まで熱心に目を通す(ただしスポーツ欄、株式欄はあまり見ない)。
時間がなくて読み切れないときは、途中まで読んでとっておく。
時間があるときに途中までの新聞をまとめ読みする。
読みながら感心した記事、感動した記事、面白い記事を見つけて紙面を破ってとっておく。
あとで気に入った記事をハサミで切って、スクラップブックにノリで貼る。
しかし、最近なぜか毎日感心/感動した記事がたくさん見つかって、破りとった新聞がたまって部屋を汚くする事態となった。
あまりマメではなく、すぐにハサミを入れてスクラップブックにはらず、あちこちにはさみ込んでいるせいなのだが、それにしても・・・と思う。
昔はそれほど読んでいなかったのだが、最近は読者の声の欄もついつい熱心に読んでしまって、しかも感心/感動してしまう。
90代の人などが戦時中の生々しい体験をつづった投稿も貴重だし、捨てるのはもったいないと思って切りとってしまう。
スクラップブックに貼るペースが追いつかなくなってきて、気づいた。
世の中いい人だらけなのだと。
感心する体験、感動する体験、面白い体験に満ちているのだと。
ただ普段は可視化されないで、日常生活にまぎれているだけなのだ。
たぶん私の頭の中の世界は悪い人だらけなのだ(母親が毒親だったし)。
だから、新聞を通して善良な人を見つけると大事にとっておきたくなるのだ。
でも実際の世界は本当は想像するよりいい人だらけなのだろう。
いい人は目立たない。悪い人は目立つ。ニュースになるというだけで。
現にパート先の小売店で接客するお客さんは9割9分いい人だと感じる。一見風変わりな人もいるが、中身は普通に自分と同じように生きづらい世の中をなんとか毎日生きている人たちばかりだと思う。
だから今後はとくに記事は切り抜かないことにした。