群ようこが三味線を習っていたとは知らなかった。
この三味線のレッスンがとても難しく大変そうだ。三味線は弦がたった3本しかないにもかかわらず。
私は飽きっぽく根気がないので楽器類の習得は最初からあきらめているが、夫は群ようこ同様着物とか和物が好きで、「三味線を弾いてみたい」と言っていたことがある。
だから三味線のレッスンはまったくの他人事ではなく、『もし夫が三味線を習ったらこんな目にあう』と、リアルに想像しながら『三味線ざんまい』を読んだ。
三味線というのは三味線だけで独立して存在しておらず、あくまで小唄の伴奏者という位置づけらしい。
そして小唄の伴奏をするためには、三味線奏者も小唄を覚えなければならない。
趣味の習い事なのだから片方だけでもよさそうなものだが、昔ながらの芸事なので自己都合の簡略化は許されないようだ。
だから群ようこも三味線を習いに行って、いちばん最初は小唄を教わった。
「水の出花」という小唄はとてもとても短い唄なのだが、それを唄うだけでもかなり難しいということが、エッセイの内容から伝わってきた。
なにしろ譜面がなく、先生と一対一で向き合って座り、口伝で歌詞や調べを覚えていかなければならない。
しかも小唄は現代の歌と音の運びがまったく異なり、とても覚えにくいのだ。
私は東京で寄席に通うようになり、落語の合間にはさまれる三味線と小唄の芸を初めて耳にした。
これまでに聞いたことがないなんとも不思議な調べに虚をつかれた。
あれを自分が唄うとなると、変な気分になるだろう。
小唄や三味線は過去に経験したことがないナニカなので脳が非常に混乱するということが本書にも書いてある。
一度芸事に入門すると、週に一度30分のレッスンだけではなく、三味線の購入、発表会などのイベント、名取するかどうかといったあれこれの問題が次々と押し寄せてくる。
当然それぞれのやりとりにお金がかかる(群ようこが最初に買った稽古用の犬皮の三味線は9万円だった)。
つくづく芸の道は長くて険しいと確認した。
群ようこの三味線奮闘記を読むと、寄席の舞台で軽妙に三味線を弾いているお姐さんたちが神様のように輝いて見えてくる。
この本を読んでよかったと思った。
三味線を習いたいと思っている人にもぜひ『三味線ざんまい』を読んでみてほしい。