パンツをはかない自由
最初の話は「パンツをはかない自由」だ。
大石静が寝るときに上下の下着をつけない話。
体のくびきを解き放ち、ストレスを減らすのに良さそうだ。
パンツをはかずに寝たことがないので試してみたいと思う。
男こそ顔だ!
2つ目の話は本書のタイトルにもなっている「男こそ顔だ!」。
このエッセイはとても面白くかつ役に立つ。
とくにモテない男性は読むと得るものがあるかもしれない。
テーマはシンプルで「人間の見た目について」。
シナリオ作家の大石静(女・30代後半)と仲良しのプロデューサー(男・30代後半)が飲みながら実際に交わした会話の内容が紹介されている。
プロデューサーはよく男性自身を理解しており、彼によって明かされる男性の本質は、女性の理解をどこか超えている。
プロデューサーが言うには・・・
・男こそ顔や姿にこだわっている。
・男はカッコいいと言われるのが、一番うれしいんです、それだけです。(深い意味はない)
・男はどこまでもカッコで評価されたがる。
・人間は顔じゃない、という当り前の本質に気づいているのは、実は男より女の方が多いんです。女性の多くは、自分が美人じゃないという自覚があるから、いかに他の面で魅力的になろうかと研究し努力するでしょう? そこいくと男は50になっても、カッコにこだわっているバカな奴が多いですからね。
・ハゲもチビもデブも、どんな男も、みんな自分は結構カッコいいんだとどこかで錯覚しているので、人は姿じゃないという価値観になり切れない。
私は「男はうぬぼれが強い」という事実を中年になってようやく知った。
落語の世界では「男はうぬぼれが強い」ということが常識としてよく語られる。
落語から学んだのだ。
プロデューサーの主張は「男はうぬぼれが強い」という落語家の言い分を補強するものだと思った。
しかし「ハゲもチビもデブも・・・自分は結構カッコいいんだとどこかで錯覚」というのは女性には驚きだ。
あくまで「錯覚」なのだが困ったレベルの錯覚だと思う。
「男はカッコいいと言われるのが、一番うれしい」というのは思い当たることがある。
パート先で若い男の子と読んだ本について話していたとき、「ポール・オースターを読んで、理解できるなんてカッコいいね!」と言うと、彼は今まで見たことないくらい笑みくずれて、「カッコいい」という言葉に激しく反応したのだ。
私はビックリして、引いてしまったほどだった。
おばさんに「カッコいい」と言われてもうれしいなら、若い女性がほめたならどんなことになるのやら。
話はエッセイに戻って、プロデューサーは自称「チカン顔」だと言う。
「眼鏡、猫背、汗っかき」が、チカン顔の3条件だそうだ。
実際に何度も電車でチカンに間違えられた。
彼は当時、チカン顔であるという自覚がなく、自分は絶対カッコいいと思っていたと言う(!?)。
しかしチカンに間違えられすぎる体験から、自分の顔は女性に受けないと気づき「カッコじゃないところでモテよう」と考え方を変えた。
30代半ばで気づいて以降、気取らず、ありのままの自分をさらすようにしたら、女性にとてもモテるようになった。
メデタシメデタシ。
ふたりの母
大石静は神田駿河台で養母に育てられた。
養母は生涯独身で、旅館を経営して生きていた。
養母の家は実家の隣にあった。
両親はかつて養母の世話で結婚したのだと言う。
19歳までは「事実婚」ならぬ「事実親」状態で、大石氏が20歳のときに正式に戸籍上の養女にした。
最期もみとった。
それにしてもエッセイを読む限りコレといった理由もなく、生後すぐになにげなく略奪されてそのままになってしまった感がある不思議な家族事情。
この生育環境が人生に影響を与えないわけがない。
血縁
大石静はテレビのシナリオ作家の仕事で成功した。
恋愛体質らしく、若いころから激しい恋に身を焦がしている。
一夫一婦制がしっくりこないと言う。
実際、結婚後も夫公認で自由恋愛を楽しんでいる。
恋人との間の妊娠疑惑が持ち上がったときには、夫の子供とし、血縁上の父親も同居して、2人の父親+1人の母親+子供で暮らすことを3人納得の上で検討した。
当時者以外の家族から反対され、妊娠も間違いであったと判明するのだが・・・
このエッセイが約30年前に書かれたことを思えば、大石氏の感性は30年くらい時代を先どりしている。
現代ようやく家族のかたちがもっと自由でよいと言われ始めているのだから。
それにしても「わたしは、多分家中で、一番エッチだと思われる」と言う大石静って・・・!?