新潮社のPR誌『波』2021年11月号を読んでいたら考えさせられる言葉があった。
最後の編集後記のページだ。
故遠藤周作の劇団樹座の一員であった長崎の鮨屋の主人が座長である遠藤周作について編集者に語った。
毎回、最初の稽古で先生が『今日から公演が終わる迄は人生を愉しみたい。生活も大事だけど、生活を忘れて人生を大いに愉しんで下さい』と挨拶された。この言葉を自分の人生に活してきたつもりです。生活の安定第一だった私が、生活より人生を優先すべきなんだ、例えば死ぬ時にどれだけ豊かな心で死ねるかだなあ、と思うようになりました
なにげなく生きていると「生活=人生」という気がする。
そして私はこれまでに一度も人生を大いに愉しんだことがない。
生活も安定第一どころかずっとカツカツだ。
“La vie est belle” (フランス語)
“La vita e bella” (イタリア語)
「人生は美しい」というフレーズを海外の映画や小説で聞くことがある。
フランス人やイタリア人は富の多寡を問わず「人生は美しい」と信じているフシがある。
私にはそう信じられる心がピンと来ない。
同時に「人生は美しい」と信じられたらどれほど素晴らしいだろうと切実に思う。
そしてこの遠藤先生の言葉である。
日本人ではっきりと言葉に出して「人生を愉しむ」人がいたとは。
しかもいろいろとエッセイや小説を読んだこともある遠藤周作だ。
「人生を愉しむ」ことが日本人にも可能なのだろうか?
人生を大いに愉しめれば、「人生は美しい」と思えるようになるのではないか?
人生を愉しんだり、人生を美しく感じたりするのに経済的な優劣は関係ないに違いない。
日本人の幸福度調査では年収500万〜800万円くらいの人の幸福度が高めのようだ。
が、日本人がイメージする「幸福な人生」とフランス人/イタリア人が口にする「美しい人生」とは内容が異なる気がする。
日本人の「幸福な人生」とは「安定第一の生活」に近いのではないか?
でも遠藤周作は「生活を忘れて人生を大いに愉しんで下さい」と言った。
演劇に参加すると、人生が愉しめるのか?
演劇ができなければ、他に何をすれば人生が愉しめるのだろうか?
でも演劇って、あたかも別の人生を生きるような行為では?
演劇の役割にはまることで日常の生活を忘れて愉しむという作戦なのだろうか?
「生活より人生を優先する」とは?
どうやったら「人生は美しい」と言えるようになるのだろうか?