著者のゴードン・マシューズは香港中文大学の人類学部の教授だ。
2006年から3年半にわたってチョンキンマンションの人類学的調査を行っている。
チョンキンマンションは、香港の観光客があつまるネーザンロードに建つ巨大なビルだ。
周りに高級ホテルや最新のショッピングセンターなどのきらびやかなビルがたちならぶ一角で、ひっそりと古風なたたずまいを見せている。
フロントの入り口にはアフリカ人(ナイジェリア人、ガーナ人、ケニア人、タンザニア人、コンゴ人など)や南アジア人(インド人、パキスタン人など)の姿が多く見られる。
夕方以降ならサリーを着たインド人売春婦の姿も見られるかもしれない。
現地の香港人はほとんど立ち寄らない、かなりいかがわしい場所と見られている。
マシューズはチョンキンマンションに足しげくかよい、出入りする人たちと会話をかわしつづけた。
その会話の内容が本書におさめられている。
「チョンキンマンション」というが、建物全体が賃貸マンションや分譲マンションになっているわけではない。
17階建てのビルの1階、2階には携帯電話、ウィスキー、サモサ、衣類、不動産、テレホンカード、電気プラグ、アダルトグッズ、靴などを売る店、食堂、レストランなどが入っている。
もっと上のほうには100軒のホテルが入っている。
120を超える国籍の人たちが行き来し、商店主、臨時雇いの労働者、世界中からの実業家、貿易業者、亡命希望者、旅行者など毎晩4000人強の人たちがチョンキンマンションに滞在する。
香港人を基準にすれば、ほとんどの利用者が外国人だが、その内容が多様すぎてひとくくりに「外国人」と呼ぶことはもはや不可能だ。
香港の中心地にある凝縮された異世界ワールドがチョンキンマンションなのだ。
チョンキンマンションの共通言語は英語である。
インド、パキスタン、ガーナ、ナイジェリア、ケニアなどでは公用語として英語が使われているので、チョンキンマンションは中国本土でよりも商売がしやすいかもしれない。
アフリカ人同士だとこちらも公用語として採用されているフランス語を使用することもある。
マシューズは、チョンキンマンションを「世界で最もグローバル化された建物」だと考えている。
異文化が出会い、共存する場所として高く評価しているのだ。
また「チョンキンマンションのような空間は世界のどこにもない」と。
建物内でグローバル化がすすんだチョンキンマンションを観察することは、世界で経験されるグローバリゼーションを読み解くヒントになるとマシューズは考える。
本書ではグローバリゼーションに関する以下の問いが探究される。
(1) チョンキンマンションで実際に何が行われているのか。
(2) どのようにして、これほど多くの異なる社会から来た、これほど多くの人々が、あの場所でうまくやっていけるのか。
(3) ここにいる人たちは、自身のグローバル化された暮らしをどのように支えているのか。
(4) 彼らはどこへ行き、何をしているのか。
(5) 彼らのグローバルな経路、技術、実践とはどのようなものか。
(6) 彼らは国家を越えた自分たちの暮らしをどのように捉えているのか。
マシューズは、香港のチョンキンマンションに出入りして、人々と会話をかわすだけで、アフリカや南アジアのお国事情をうかがい知ることができる。
チョンキンマンションまで商売を求めてやってくるアフリカ人の故国は政情が不安定で汚職がはびこり、電気の供給も安定しない。
自国で衣類や携帯電話を製造することができないので、国の経済力に見合った激安商品を求めてチョンキンマンションにやってくるのだ。
自国でパワーを有する勢力を批判すると簡単に殺されることもある。
それで難を逃れてチョンキンマンションまでたどりついたアフリカ人もいる。
アフリカの一部の国では大勢の人がいとも簡単に殺される現実がある。
南アジアのパキスタンでも簡単に命が奪われる。
そういう安心して暮らせない国から、誰もが比較的入国しやすい香港に世界中から人があつまってくる。
インド人とパキスタン人は本国では互いに憎み合っているが、チョンキンマンションでは何よりも商売が優先されるので、両者は平和的な関係を維持できている。
こういう関係性もグローバリゼーションのヒントになる。
日本で暮らしていると見えない世界が見えてくるので面白い。
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