アン・タイラーの『アクシデンタル・ツーリスト』を読んだのは10年以上も前になる。
『アクシデンタル・ツーリスト』は小説に出てくる旅のガイドブックのタイトルだ。
新しい土地に好きで観光に行く旅行者ではなく、会社に命じられてイヤイヤ出張に出かけるビジネスマン向けの特殊なガイドブック。
つまり『偶然の旅行者』向けのガイドブック。
『アクシデンタル・ツーリスト』はアメリカの小説だが、ガイドブックは、出張中もまるで本国にいるかのように生活したいという保守的なビジネスマンをターゲットにしている。
主人公の中年男性メイコン・リアリーはこのガイドブックの執筆者で、彼自身もあまり変化を好まない、決まりきった手順で日常を送りたいというタイプの人間だった。
ある日、若い女性のドッグトレーナーに出会うまでは・・・
というストーリー。
アメリカにはドッグトレーナーという仕事がある!?と、少し不思議に思ったものだった。
そのドッグトレーナーなる珍しい存在を、先日、家の近所で目撃した。
ウェーブした髪の毛を肩の長さまでのばしている中年男性だった。
訓練対象はトイプードルで、飼い主はお母さんと小さな女の子だった。
親子はドッグトレーナーがリードを短く握って、話しかけながらトイプードルをしつけているのを10メートルくらい離れた場所から見ていた。
今思えば、あれは初回のレッスンだったのかもしれない。
それから2週間後くらいに、車がめったに通らない同じ道路上で再び同じドッグトレーナーを見た。
犬は叱られながらキャン!と何度も鳴いていた。
まるで電気棒でお仕置きされているかのように。
2回目のときは子どもはおらず、お母さんだけが離れた場所から心配そうに飼い犬を見つめていた。
たぶんそのトイプードルは、ちょっと前に新築された近所の分譲戸建で飼われ始めた犬かもしれない。
新築の一戸建てが6棟建つまでは近所で見かけたことのない親子と犬なのだ。
犬を飼うなら絶対に家を傷つけないようにちゃんとしつけろとでもお父さんに言われたのだろうか?
ドッグトレーナーを雇うなんてよほどのことだという気がする。
その後は、ドッグトレーナーに教わったことをお母さんが犬に1対1で教えていた。
トイプードルはたぶんまだ子犬で、一瞬たりともじっとしていない。
だから、なかなか飼い主の言うことを聞かず、「ダメ!」と注意される回数が多かった。
私は最初から最後までトイプードルに同情していた。
他のトイプードルやその他の犬みたいに自由気ままに振る舞うことができなくて可哀想だと。
夫にドッグトレーナーの話をすると、規律は必要。いつか犬も飼い主に感謝する日が来るだろう、と本気とも冗談ともつかないコメントをした(夫はとても犬好きだ)。
それから毎日2度の訓練が続いた。
朝8時台と夕方5時台。
ドッグトレインの時間が私の出勤、帰宅時間とぴったり重なるのだ。
最初見たときは、ドッグトレインなんて無理だろうとたかをくくっていた。
が、飼い主の熱心な指導のかいあって、少しずつ犬が何かを学び始めたようなのだ。
飼い主はドッグトレインのさい、たたんだペットシートを小脇に抱えて出かけてくる。
ときどき道路にシートを広げて、その上で用を足すよう犬に命じる。
1週間くらい経ったとき、私は犬がペットシートの上ですばやく用を足すのを目撃した。
訓練成功だ。
飼い主の絶対にやりとげるという意志の強さと根気強さにとてもとても感心した。