ゲルダ・サンダースは1949年に南アフリカで生まれた。
1984年に、夫のピーターと2人の子どもと一緒にアメリカのソルトレイクシティに移住した。
2010年9月21日、61歳になる直前に「脳微小循環障害」と診断された。
これは「認知症になっている(Dementing)」ということだった。
そして、ゲルダ・サンダースが書いた「認知症観察ノート」は、2011年2月5日に始まっている。
当時勤めていたユタ大学ジェンダー研究所を退職した時にもらった記念品の手帳に「今後の脳の衰退」について書くことにしたのだ。
ゲルダは、2002年から退職する2年前(2009年)まではユタ大学で学生に向けて授業をおこなっていた。
しかし、すでに記憶の混乱がおこっていて、仕事に支障をきたすようになっていた。
本書『記憶がなくなるその時まで』には、①「認知症観察ノート」の記録をそのまま転載した部分と、②あらためて自分の人生をふり返って南アフリカでの子ども時代からの思い出を綴った部分と、③現在の出来事を記録した部分が入れ替わり収められている。
3つのどのテーマも面白い。
でも特に1949年から1984年まで暮らした南アフリカでの暮らしの様子が、アパルトヘイト(1948~1990)の実態なども含めて、興味深かった。
ゲルダが子どもの頃、実家はタバコ農場を管理していた。
10代になると、当時の南アフリカの白人の子どもはみんな全寮制の学校に入った。
1950年代の南アフリカの白人の子どもにとって、学問での成功は文化的な義務であった。この暗黒大陸でわたしたちの人種が飛躍することが、愛国的使命だった。
1961年には、父親は高校の数学教師になり、ゲルダは同校の生徒だった。
父親は農場から街の学校まで2時間半かけて通勤し、ゲルダは寮から通ったという。
その頃、農場は母親が切り盛りしていた。
父親はその後、エンジニアに転職した。
ゲルダの母親も認知症だったが、絵を描き、日記(回顧録)を書いたりしていた。
この母親のさらに昔の南アフリカでの子ども時代の話も面白い。
現在もゲルダはMY LIFE WITH DEMENTIAというウェブサイトを運営している。
その中の直近のブログ記事は2024年6月18日のもので、元気そうなゲルダとピーターの写真も掲載されている。
今頃ゲルダは76歳になったところだろうか?
ブログの記事は長く、内容も充実している。
記憶力・認識力に問題がある人が書いたとはとても思えないし、『記憶がなくなるその時まで』がアメリカで出版された2017年時点の文章と何も変わりなく思える。
ゲルダの存在自体が、若年性認知症患者の大きな希望の星に見える。