はじめに
裁判にはまっている。
関連本をいろいろ読んで、実際に裁判の傍聴にも行ってみた。
法廷には、読んでイメージするのとはまったく違う世界がひろがっていた。
そしてまた本を読み、漫画を読み・・・
裁判や裁判官を扱った漫画は探せばけっこうある。
漫画喫茶でそれっぽいタイトルのものを適当に選んで読んでみる。
本当に面白いと思ったものはアマゾンで購入して家でじっくり読む。
『家栽の人』は、古本屋で偶然購入した朝日文庫『孤高の王国 裁判所』の中で紹介されていた。
アマゾンでまとめ買いして、読み終わるのが惜しいので少しずつ読んだ。
そこには驚きと感動が詰まっていた。
桑田判事のモデル
『孤高の王国』によると、主人公の裁判官・桑田義雄判事のモデルはいない。
実際の裁判官が原作者になったわけではない。
原作者の毛利甚八氏はフリーライターで裁判の素人だった。
つまり『家栽の人』は完全なフィクションであり、毛利甚八氏が創造した理想の裁判官の姿なのだ。
「こんな裁判官、本当にいるんだろうか?」と、驚きとともに半信半疑で読んでいたが、やはり実際にはいないのだ。少しがっかりだ。
桑田判事と少年犯罪
裁判官というのは裁判所にいるイメージがある。
桑田判事は植物を育てることが趣味なので、例外的に裁判所の外に出て庭の手入れをしたり、近辺を自転車で散歩したりする。ほかの職員からは、かなり変人だと思われている。
でも、日々観察・手入れしている植物の生きかたをヒントに事件の素晴らしい解決策を思いついたりもする。
それがこの漫画のキモである。
地方の家庭裁判所が主な舞台なので、離婚の調停、遺産をめぐる家族トラブルなど、大人相手の裁判もおこなう。
だが、漫画の目玉は少年が被告の裁判だと思う。
未成年である少年少女は無力なので、大人がよってたかって力で無理矢理ねじふせることはたやすい。
しかし問題児を学校や社会から排除して一時的な平和を取り戻しても、彼らはいつかまた学校や社会に戻ってくる。そしてまた問題を起こす。
問題児の根本的な問題は家庭にひそんでいることが多い。
だから少年院に入れたところで問題は解決しない。
少年少女は成長過程の途上にあり、大人とは全然ちがう。
自分自身や取り巻く状況を客観的に判断して問題を解決する力はない。
とくに家庭も荒れている子供はいつも混乱のさなかにあり心がおびえている。
桑田判事はその構造をよく理解している。
少年少女が自分で解決できないことを、子供の立場で考えて、根本的な解決の道をさぐる。
こんな大人はどこにもあまりいない。
大人自身がみんなトラブルを抱えているからだ。
裁判の黒子=調査官
一般人があまり知らない職業として裁判所の調査官がある。
『家栽の人』では調査官が桑田判事のサポーターとしてかなり活躍する。
実際に少年少女、その家族に会って話をし、裁判官に提出する書類を作成するのはこの調査官たちなのだ。
その書類の内容にもとづいて裁判官は事件を判断し、裁判はおこなわれる。
調査官は、まるで刑事のように足をつかって働く。
問題をかかえた子供は大人に不信感をいだいている。たやすく心をひらかない。
本心を聞きだすまでとても時間と手間がかかる。
事件の表層に浮かびあがった事実をもとに「少年に問題あり」というストーリーを描くことはとても簡単だ。
漫画では理想の調査官が描かれているので、みんな本当に必死で少年少女にかかわり、学校にも足をはこび、教師とも話し合って問題をあぶりだそうとする。その態度には頭が下がる。
桑田判事の信念
桑田判事は子供の潜在力を信じている。
裏切られても子供を信じつづける。
これは実際に子供に接してみればわかるがとても難しいことだ。
裏切られても子供を信じつづけるためには、まず大人が心に余裕をもっていなければならない。
だから、桑田判事はいつも花や草木を眺めて、努めて心をなごませているのだろう。
本当に、世の中が『家栽の人』のような世界になればと思う。
『家栽の人(1)』のAmazon商品ページ(Kindle版)
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