(※ネタバレありです)
朝比奈秋著『私の盲端』を読んだ。
書評を読んで興味をひかれたからだ。
『私の盲端』は、今まで読んだことのない内容だった。
著者は医者だというが、確かに体とか内臓とか、一般の人が覗けない、描写できない部分について念入りに書かれている。
人工肛門をつけたばかりの女子大生・涼子が主人公だ。
私にも十数年前から人工肛門生活を送っている会社員の友だちがいるので、とても興味があるテーマだ。
私は好奇心が強いので、『もっと人工肛門について詳しく聞きたい』と思っているが、友だちは詳しく話したくないかもしれないので、普段はそのことにはまったく触れない。
だからその反動で、人工肛門について書かれた本や漫画は貪るように読んでしまう。
『私の盲端』は、人工肛門について私が知りたいような事柄について微に入り細に入り語ってくれるのでうれしかった。
読者は皆驚くと思うが、人工肛門の非常に不思議な使い方まで複数載っていた。
『医者(作者)にとっては、内臓も機械の部品的な見え方・扱い方になるのだな』と感じて、医者の目を通して体や内臓を見ると、これまでとは違った世界が広がるようだった。
朝比奈秋は京都生まれだという。
『私の盲端』も関西の方が舞台だからなのか、著者が医者だからからなのか、登場人物たちの体と体の距離がとても近いことが気になった。
家族ほど関係性が深くない人たち同士が日常的によく身体的な接触をする。
『人とはできるだけ物理的な距離をとりたい』と常々考えている自分みたいな人間は、涼子のバイト先では絶対に働けない。
従業員同士のスキンシップが多すぎる(昔かたぎのセクハラも)。
もしこの小説の舞台が東京ならば、言葉を標準語にしても、登場人物たちのセリフや行動は大きく変わるのではないだろうか。
もっとよそよそしく、オブラートでくるんだような物言いに?
それとも物語の中でも話題になっているように、大学まで進学したあとで社会に出て働く者と、高卒で社会に出てそのままずっと働き続けなければならない者とでは、セリフや行動パターンが変わってくるのか?
それは変わるだろうと思うし、関西と関東でもやはり人との距離の取り方が変わるとあらためて思う。
別にそれはこの本が伝えたい主題ではないだろうけど、久しぶりに実家に近い地方の人間の泥臭さに触れて、ちょっと身が縮んでしまった。
一方で、心の奥底では、誰もがもっと親密なスキンシップを求めているのだろうということが、涼子とオストメイト仲間とのやり取りから伺える。
お互いを肌で温め合うような動物的な触れ合いを…
誰もがありのままで受け入れられる関係を…