歓喜の街カルカッタ/ドミニク・ラピエール
投稿日:2021年7月14日 更新日:
(※ネタバレありです)
読書旅行
コロナ下、外国旅行は夢のまた夢なので、代わりにインドを舞台にした本を読んでいる。
インドのガイドブックも同時進行で読むと楽しい。
『歓喜の街カルカッタ』は、インドの中でも最東部にあるカルカッタという大都会がその舞台となっている。
インドは大富豪と大貧者が存在する場所だ。
本書の舞台はカルカッタの中でも大貧者が7万人暮らすスラムだ。
スラムの面積はサッカー競技場3個分。
日本人にとってインドは人気の旅行先だと思う。
「はまるか、二度と行きたくないか、どちらかだ」とよくいわれる。
私は暑さにとても弱い体質なので、インド旅行はハードルが高い。
それでも死ぬまでに一度は行ってみたいと憧れている。
だが『歓喜の街カルカッタ』を読んで、カルカッタを訪れるのは無理だと思った。
1年のうち8か月が夏で、夏は気温がゆうに40度を超える。3月半ばからそうなる。
湿度100パーセントだと、外の気温は実質55度になるらしい。
蝿が死に、蚊も死に、鳥も暑さで肺が破裂して死ぬ。鼠も山羊も。
しかも本書のスラムでは汲取人のストで街中に糞尿があふれ出している。
日本人でこの状況に耐えられる人がいるとは思えない。
しかし『歓喜の街カルカッタ』の主人公の一人フランス人のポール・ランベールはこのスラムでインド人に混じり住んでいる。
「歓喜の街」にふさわしく嬉々として驚くべき多彩な光景を観察/経験しながら暮らしている。
スラムで暮らすフランス人
ポール・ランベールはカトリックの神父だ。
インド政府はインド人がキリスト教に改宗させられることを警戒して、ランベールを神父としては迎え入れなかった。
が、とにかくランベールはカルカッタに入り込み、インド人たちとともに苦しみ、喜び、生きている。
彼の信仰心は超一流で、結婚相手は神。キリスト教の教えを日々実践して生きることが彼の生きがいだ。
実際、超一流の信仰心がなければできないことをランベールはスラムでおこなっている。
それはヒンドゥー教徒を改宗させることではなく、大貧者たちと一緒に毎日スラムで暮らし続けることだ。
彼によると、悲惨な状況の中でこそ奇跡はあらわれる。
奇跡はしばしば大貧者によっておこなわれる。
スラムの人たちの連帯力は素晴らしく、誰かが危険にさらされると即座に気づいて救済する。
大貧者にはヒンドゥー教徒も、回教徒も、スィク教徒も、その他の宗派の人もいる。
スラムのハンセン氏病患者の結婚式
スラムの中の出来事でもとりわけ印象的だったのは、ハンセン氏病患者同士の結婚式だ。
スラムでは病気は放置されるので、手足がなくなったり、腐りかけて腐臭をはなっていたり、顔が溶けたようになった人たちがたくさんいる。
さすがのランベールでも嫌悪感を抑えるのが難しいほどの見てくれだ。
ある日ハンセン氏病患者の新たなカップルが生まれ(花嫁は元夫に金で売られた)、スラムを挙げての結婚式が開かれた。
普段、耐え忍ぶばかりの生活をしている人たちは、ここぞとばかりにハメを外し、人生を愉しんだ。
酒がふるまわれ、男も女も踊り狂った。
ハンセン氏病など関係なく、そこには生き生きとした生命の躍動があるのみで、ランベールは非常な感銘を受けた。
カルカッタにはすべてがある
本書に「カルカッタにはすべてがある」と書かれているが、確かに日本はもとより他国のスラムでも見られないような人間の限界ギリギリの光景がカルカッタのスラムでは日常的に見られる。
一方、その反対に、神がかった美しさも見られるのだ。
スラムと聞いて誤解しやすいのは、悪の巣窟というか、そこには悪い事しか集まってこないと思いがちなことだ。
ランベールの見たスラムはぜんぜん違う。
最悪の状況の中でこそ奇跡のようにどこからともなく美しいものが立ちのぼってくる。
人間の魂の美しさがむきだされる。
子供たちの天真爛漫な笑顔に・・・
祭りの日に王侯貴族のように着飾って光り輝いた家族の姿に・・・
瀕死の隣人に食毎日事を運ぶ貧しい人たちの姿に・・・
ハンセン氏病患者の生命の輝きに・・・
つまりこの世に存在する限りなく醜いものと、人間の中にひそむ限りなく美しいものをカルカッタでは目視でき、その類まれな状況がフランス人神父の心をとらえたのだ。
ポール・ランベールは最終的にインドに帰化した。
スラムで開業した裕福なアメリカ人医学生
『歓喜の街カルカッタ』下巻の主人公の一人はユダヤ系アメリカ人のマックス・レーブ。
フロリダの裕福な家庭のお坊ちゃんで医学生。
たまたま読んだポール・ランベールの記事に触発されてカルカッタにやってきた。
スラム初日、前述のハンセン氏病のカップルの難産のお産に立ち会うことになった。
ハンセン氏病患者の長屋で赤ちゃんを取り上げると、指のない手や鼻のない顔で触られ感謝の意を伝えられ、マックスはカルカッタの洗礼を受けた。
彼もカルカッタのスラムにどんどんはまっていった。
秘密のカースト「ヒジラ」
ほかに印象的だったのは、スラムに住む「ヒジラ」という去勢者の住人だ。
ランベールが移住した長屋の隣室にはヒジラたちが5人で暮らしていた。
ヒジラというのはインド社会に存在する秘密のカーストらしい。
そのうちの一人のヒジラの人生が詳しく語られている。
カーリーマーは裕福な回教徒の家庭に生まれた。
彼は生まれつきトランスジェンダー的体質で、最初から男性よりも女性の服の方が好きだった。
15歳のときに親に無理やり結婚させられたが、性生活がうまくいかずにすぐ破綻した。
その後、巡礼中のヒジラと出会い、彼の養子になった。
たとえていうならヒジラの人生は、ある人が落語家に弟子入りして生活を共にしながらその道の技術を教わり一生を落語家として生きていくようなものだ。
入門したら仲間が自分たちでカーリーマーに去勢手術をした。
ヒジラは化粧をし、美しい女性の姿でスラムで日常生活を送っている。
ヒジラの仕事は特殊なものだ。
どこかの家で赤ちゃんが産まれると、その子を腕にいだき、あやしたり、祝福を与えたりする。ちゃんとしたしきたり、儀礼にのっとって祝福をおこなう。その専門職なのだ。
インドは世界一の人骨輸出国
ところで、インドは世界一の人骨輸出国で、カルカッタはその中心地だそうだ。
『歓喜の街カルカッタ』の主人公の一人ハザリ・パルは田舎の貧農だったが旱魃にあい、仕事を求めて家族でカルカッタにやってきた。
苦労して人力車夫の口を見つけた。
だがハザリはたった数年で肺病を患った。肺病と短い人生は人力車夫の運命なのだ。
血を吐き、死期がせまったあるとき、ハザリは人骨輸出業者から声をかけられた。
「死んだら骨を売ってほしい」という。
ちょうどハザリは16歳の娘の結婚費用を捻出しようと病身に鞭打って奔走しているときだったので、考えたすえ500ルピーの契約に同意した。
ちなみに人骨の輸出先は、アメリカ、ヨーロッパ、日本、オーストラリアの大学医学部らしい。
インドの男親にとって娘を嫁がせることは絶対にやらねばならぬ義務であり、爆発するほどの喜びだ。
娘は、結婚までは神のもので、結婚後は夫のものとなる。
娘は生まれたときから従順な妻になるべく100パーセント服従する態度をしつけられる。
ハザリは生命の残り火を燃やして、娘の結婚に必要な2000ルピーの当てをつけた。
ハリ・ギリという名前の占星術師のプージャーリー(ヒンドゥー教の神官)に娘の結婚の仲介役を依頼した。
占いで相性の良い相手を見つけてもらい、諸経費の値段交渉が始まる。
仲介役とハザリと娘婿の父親とサポーター(?)としてランベールが同席している。
娘婿の父親がふっかける贈り物の量は法外だし、仲介役もめいっぱい値をつりあげてくる。
値段交渉の顔合わせは10回近くに及んだ。
外国人がインドに旅行し、お土産品の値段交渉に四苦八苦させられるというのはよく聞く話だが、現地人も同様に値段交渉では身を切られるような真剣勝負を求められるようだ。
『歓喜の街カルカッタ』は作者の実体験をもとに書かれた驚くべきスラムのレポートだ。
インドのリアルが怖いくらいに迫ってくる。
日本にはないものばかりがカルカッタにはある。
ぜひ一度読んでみてほしい。
執筆者:椎名のらねこ
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