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コロナで生活が楽になったような、苦しくなったような

紛争地の看護師/白川優子

投稿日:2022年7月6日 更新日:

前から気になっていた「国境なき医師団」(MSF=Médecins Sans Frontières)に関する本を初めて読んだ。

国境なき医師団の活動はかなり特殊だ。

外国といっても、通常の医療体制が崩壊しているような危険な紛争地に行くことが多い。

もちろん派遣は強制ではなく、人命を救いたいという強い使命感に突き動かされて、MSFスタッフは現地に飛ぶのだ。

白川優子さんが派遣されたのは、スリランカ、パキスタン、イエメン、シリア、南スーダン、フィリピン、ネパール、パレスチナ、イラクなど。

特にパレスチナのガザ地区の話は怖かった。

今まで何度ニュースで聞いてもピンとこなかったが、白川さんの実体験を読むとパレスチナ問題のリアルなおそろしさが迫ってきた。

「世界一巨大な監獄」と呼ばれるガザ地区は、地区全体を壁やフェンス(西側は海)で囲まれている。

イスラエルが軍事占領を続けている地域だ。

上空からもイスラエルに監視されており、ガザ地区で生まれた人間は、生涯ガザ地区から出ることはできない。

出ようとすると監視しているイスラエル兵からすぐに撃たれる。

ガザ地区では日常的にイスラエルからの空爆がある。

まるでSFの世界のような現実が描かれている。

しかし白川さんはガザ地区のパレスチナ人の立場だけでなく、イスラエル人の歴史にも思いをはせる。

すると当然「パレスチナ人=被害者」「イスラエル人=加害者」という単純な図式はあっという間に崩壊する。

ジャーナリストでもなかなか立ち入れないような紛争地に白川さんのような普通の看護師が入り込んで、医療を行いながら、現地の様子を観察するというのが、この本の不思議なところであり、貴重な証言集になっている。

もうひとつ『紛争地の看護師』でとても役に立つ情報は、MSFに看護師として加わる方法が具体的に書かれていることだ。

つまり白川優子さんがたどった道なのだが、それは決してまっすぐな道でも、最短距離の道でもなかった。

白川さんは7歳の時にテレビで「国境なき医師団」の存在を知ったが、最初からMSFを目指していたわけではなかった。

むしろ商業高校の3年生、になっても将来の目標は見えていなかった。

でも看護師になりたい同級生からインスピレーションを得て、17歳で看護師になることを決めた。

それは看護学校を受験する4か月前のことだった。

たまたま埼玉県の実家の近くに定時制の看護学校(坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校)があることがわかり、受験して合格した。

それからの4年間は看護師になるための勉強を半日行い、医療機関での勤務を残りの半日行うというハードスケジュールの日々。

4年目の12月からまた4か月間看護師国家試験の受験勉強をして合格した(合格率約9割)。

1996年から3年間(23~26歳)は実家の近くにあった外科中心の病院(シャローム鋤柄病院)で働いた。

この病院ではローテーション制でいろんな看護の仕事を経験することができた。

1999年に国境なき医師団がノーベル平和賞を受賞したというニュースを見た。

日本にもMSFの事務局があると知り、スタッフ募集の説明会に足をはこんだ。

MSFに入るには英語かフランス語ができなければならないことがわかった。

白川さんは26歳のこの時点で英語力ゼロだった。

それから英会話学校に通ったが、MSFに必要なだけの英会話力は身につかなかった。

すっかり行き詰まった白川さんだったが、母親から留学するようアドバイスを受け、新たな道がひらけた。

まず留学資金を貯めるために給料の高い産婦人科病院(小川産婦人科・小児科)に転職し、2000年から2003年(26~29歳)まで働いた。

2003年7月にオーストラリアのメルボルンに出発した。

最初は留学生用の語学学校に入った。大学入学に必要な資格IELTSのスコア強化クラスを選択。オージー3人とのシェアハウスで急速に英語力がアップした。

2004年2月にAustralian Catholic Universityの看護科に入学。

本来3年間で卒業のところ母国の看護師資格があるので1年免除。

2年目に増える実習がとてもきつかったという。

2006年にオーストラリアの看護資格を取得(手続きのみで国家試験はなし)。永住権も取得した。

2006年から2007年まで、内視鏡専門のDarebin Endoscopic Clinicで働く。

2007年から2010年まで、メルボルン最高峰のRoyal Melbourne Hospitalで働く。

2010年4月に帰国。国境なき医師団の派遣看護師として登録される(36歳)。

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