心臓弁膜症の手術から退院まで
投稿日:2022年4月29日 更新日:
【DAY0(手術日)】
朝から飲食飲水禁止。
8:00前に手術着と紙パンツに着替えて、8:10頃にトイレをすませ、8:20頃に看護師さんに案内されて手術室の前まで歩いていく。
8:30入室。
指定されたベッドに仰向けに寝転がると体に布団がかけられる。
布団の下で複数の人によって手術着のボタンが開けられる。
その間、麻酔医たちから説明を受けたり、腕に点滴用の針を刺されたりする。
スタッフはとても忙しそうだ。
麻酔が注入されると意識が消えた。
僧帽弁形成術のロボット手術は準備に手間取るみたいで、実質的な手術開始時間は9:30頃と前もって聞いていた。
手術中のことは何もわからない。
手術が2~3時間で終わり、麻酔から覚めたのが16:00頃なんだろうか・・・?
のどに管を挿入されていて、先端があたるのどの奥がとても痛い。
小枝でのどの奥をつつかれているような耐え難い不快感があった。
もう一点耐え難かったのは、体の燃えるような熱さだ。
原因は、私がもともと暑がりなのと、保温力の強いダウンの布団が掛けられていたことと、医療目的で膝下までの加圧ソックスをはかされていたことだった。
前もって知らされていたが、のどに管が挿入されているとしゃべることができない。
なので右手でベッドのレールを何度もたたいた。
すると男性スタッフが気づいて2人で駆け寄ってきてくれた。
しゃべれないので右側にいた年長のスタッフの腕に指で文字を書いてメッセージを伝えようとした。
私は少し前に『潜水服は蝶の夢を見る』を読んでいて、今まさにその主人公になった気分だった。
年長のスタッフに筆談はうまく伝わらないようだったが、ベッドの左側にいた若手のスタッフが読み解いてくれて、紙とペンも持ってきてくれた。
それで「のどが痛い」と「体が熱い」という2つのメッセージを何とか伝えることができた。
そして管は抜かれ、布団ははがれ、だいぶ状況が良くなった。
加圧ソックスはむくみ防止用の重要アイテムなので、ぬぐことはできなかった。
だいぶ後でぬいだとき、体がかなり涼しくなったので、ソックスが異常な熱さの一因だったと思う。
集中治療室はフロアにベッドが並べ置かれ、薄手のカーテンでしきられている。
集中治療室のフロアの照明は明るい。
明るい光が苦手な私にとっては苦しい環境だった。
目の上にタオルを掛けて光よけにしたり、アイマスクをしたりした。
機械音や、スタッフと患者のやりとりが耳にひびくので、耳せんをもらった。
だが耳せんをしていても、看護師さんがいろいろ話しかけてきたり、各種数値を測ったりするたびに耳せんを外さなければならない。
この外した耳せんの保管場所が難しかった。
DAY0の時点では、自力で体をほとんど動かせない。
体にたくさんの管が刺さっていたり、貼り付けられていたりで、動くと大事な管が抜けてしまうからだ。
看護師さんがいないときに実験的に動いていると、音が鳴って看護師さんに気づかれた。
動くと音が出るチューブか何かが装着されているようだ。
体に管が巻き付いている以外にも、麻酔の後遺症なのか、薬剤の影響なのか、体は動かない。
耳せんをケースに入れることは無理だ。
ケースはベッドの足元のテーブルの上にあり、自力で取ることは不可能に思える。
私は腹筋で体を起こすことができないし、ベッドを起こすためのリモコン操作をするエネルギーがない。
また『潜水服は蝶の夢を見る』の主人公の気持ちになってしまう(入院前に読んでおくと内容を追体験できる)。
どうしてもケースに耳せんを入れたければ、看護師さんを呼んで入れてもらわなければならない。
でもどこにナースコールがあるのかわからない。
説明されなかったので、集中治療室にナースコールはないのかと思っていた(まさか!)。
ナースコールがないので、用事があるときは、看護師さんが近くに来たときに声をかけるようにしていた。
でも手術直後、管を抜いた後はしばらく声がでなくて困った。
声を出すのも苦しいし、出てもかすれた声しか出ない。
数日間その状態だった。
結局、外した耳せんは頭の横に置いたりした。
でもベッドを起こされると耳せんはどこかに移動してしまう。
ベッドから落ちてしまったものもあった。
看護師さんに探してもらったり、新しいのをもらったりした。
その後、パジャマのお腹の左側あたりにポケットがあることがわかった。
耳せんをなるべくポケットに入れようとするのだが、入口の角度が絶妙に入れづらい。
パジャマはくしゃくしゃでポケットの入口はせばまってどこにあるのかわからないし、体が動かない私にはそんなことすらハードルがとても高かった。
心臓の負担を減らすために手術前から水を飲むことを制限されていたので、麻酔から覚醒すると、水を飲みたくてしかたなくなる。
でもなるべく水は飲まないほうが患者のためになるので看護師さんはあまり水を飲ませないようにする(ように思えた)。
飲水量の制限があり、朝6時頃までに飲んでいいのは500mlほど。
(飲水制限は一般病室に移ってからも退院まで続いた。朝6:00~翌朝5:59まで1200ml)
「麻酔から目覚めると10人中10人が「のどが渇いた」と言う」と、事前に集中治療室の担当者が教えてくれていたので、私は「のどが渇いた」と言わないように我慢した。
言ってもすんなり水がもらえないことが分かっていたからだ。
でもこれまで経験ないほどののどの渇きに負けて、言ってしまった。
「少しでいいのでお水をいただけませんか」と。
看護師さんは「でも飲水制限があるから・・・」と言いつつ、吸い飲みに50mlくらい入れてくれた。
私はベッドのリモコンで起こされて、吸い飲みを置いたテーブルを寄せられて、自分で水を飲んだ。
水は甘くて、とても良い味だった。
それからは再び水を飲むことしか考えられなかった。
ずっと朝まで、翌日も、まるで水中毒者のように水が飲みたかった。
このDAY0の水のくだりを書いているのはDAY6だが、すでに水中毒の症状は消えて、のども日に日に渇かなくなるし、それに比例して、水をDAY0~DAY2頃ほどおいしいと感じなくなっていった。
銘柄は最初の2本が「南アルプスの天然水」だった。
次の2本は別の銘柄だった。
別の銘柄の水は、南アルプスの天然水と比べて苦く感じた。
『せっかくならもっとおいしい水(南アルプスの天然水)が飲みたい』と思った。
手術直後のみならず退院後まで飲水制限は続いた。
普通の健康状態だと「水=体に良いもの」とされる。
水を1日何リットルも飲む健康法もある(三谷幸喜がやってた?)。
しかし心臓病の手術後は、心臓がまだ新しい環境に慣れておらず本調子ではないので、水分量を制限するのだという。
心臓の仕事はポンプ作業だ。
自力で水(血液)をひたすら汲み上げ、次の部屋(臓器)に送る。
心臓は1日10万回ポンプ作業をしているという。
だから飲水制限すると、1日10万回の仕事が5万回とかに減って楽になるのだろうか。
※注:麻酔から覚めて最初に確認されるのが脳や体に麻痺した部分がないかということで、次に訊かれるのが痛みの有無、部位、強さだ。
私は特殊体質なのか手術直後でもどこにも痛みを感じなかった。だからこのレポートには痛みに関する記述がない(本来は鎮痛剤を飲んでも痛いらしい)。
−−−−−データ−−−−−
手術内容:僧帽弁形成術&三尖弁形成術
手術時間:2時間25分
人工心肺装置稼働時間:1時間49分
心臓停止時間:51分
−−−−−−−−−−−−−−−
【DAY1(手術翌日)】
寝ているしかないけど、寝ているだけでも胸のあたりがモヤモヤして苦しい。
心臓は元気そうだが肺に違和感がある。後で聞くと、手術の影響で肺に水がたまっているのだという(時間をかけて自然に抜ける)。
あいかわらずチューブに巻きつかれている。
とにかく体が熱いのと、のどが渇くのとの戦いで、他に何も用事はなくて寝ているだけ。
心臓病の手術後はたんが出やすくなり、それはしっかり出さないといけないそう。
特に喫煙歴の長い人ほどたんが詰まって苦しむという。
【DAY2(手術から2日目)】
手術当日は集中治療室に泊まり、DAY2も集中治療室泊だった。
前もって作成された手術&治療の計画書によると、集中治療室は2泊となっていた。
ので、3泊目をしたときには『回復が予定よりも遅れているのでは?』と不安にかられた。
一般病室が満室のため移れない、という事情もあったが。
DAY2のどの時点かで、優しい看護師さんが私を集中治療室の個室に入れてくれた。
個室だと照明の明るさを調整できるので都合がいい。
個室にはナースコールがついていた。
午後、リハビリが始まった。
リハビリはたとえ体が痛くても早期に始めたほうがいいと言う。
退院直後のみならずその後の長い人生にわたって、術後のリハビリが影響を及ぼすらしい。
ベッドに座って、その後ゆっくり床の上に立つ。看護師さんと同じように足踏みをする。
カートの手すりを持ってゆっくり歩く。
ちょうどトイレ(大便)に行きたかったので目的地をトイレにしてもらう。
体の状態はまるで90歳のおばあさんになってしまったように動きが鈍い。
でもリハビリすると日に日に元気になっていった。
※尿は尿道に装置が設置され管を通ってパックに流れていくのでトイレに行く必要がない。オムツ着用中。
【DAY3(手術から3日目)】
集中治療室で3夜を過ごしてしまった。
他の患者さんより1泊多いような気がする。
午後またトイレに行きたくなった。
(※ここから汚い話が始まる※)
昨日行ったばかりで、普段やや便秘気味なので1日、2日は便意をもよおさないと思ってたのに・・・
かなりせっぱつまってきたので、看護師さんが来たときに「トイレに行きたい」と伝えた。
トイレに行くためには体についているチューブの処理をしなければならない。準備に10分くらい時間がかかる。
やっとカートに手をあてて、看護師さんに付き添われて、全速力でトイレに向かう。
集中治療室の個室はいちばん奥にあるので、一般フロアにあるトイレは遠い遠い。
集中治療室を出て車椅子用のトイレを目指すが、5分以上はかかりそう。
集中治療室を移動しているときすでにおもらし状態に。においが漏れていそうであせる。
車椅子用のトイレに入って一人になることができた。
オムツの中身を便器に捨てて、オムツは脱いでまとめてゴミ箱に突っ込んだ。
お尻を拭いてウォシュレットできれいに洗ってまた拭き、パジャマのズボンをはいてトイレから出た。
看護師さんに状況を伝えると、ちょっと引いていた(体やパジャマを汚して、自分が後始末をしなければならないことを警戒してる感じ)。
トイレ事件の後で、15:00前に一般病室に移ることができた。
とてもうれしい。
なぜなら当然ながら集中治療室は非常に管理が厳しいからだ。
管理されることが苦手な自分には一般病室への移動が自由へのチケットだった。
『好きなタイミングで一人でトイレに行ける!』
こんな基本的なことが入院生活中には大きな喜びになるのだ。
『好きなタイミングで一人で歯を磨ける!』
『歯ブラシを水道水でじゅうぶんに洗うことができる!』
『口の中をすすいだ水を人に捨ててもらわなくてもいい!』
DAY1〜DAY3まで、集中治療室では歯磨きするだけでもひと苦労だった。
特にDAY1〜DAY2までは・・・
(DAY0は何も食べてないし、歯磨きしなかったかも)
ベッドで多くのチューブに巻き付かれたままで、ほぼ寝たきりの人が歯磨きする方法。
1. 看護師さんがリモコンでベッドを垂直に起こす。
2. 体の前に移動式のテーブルと歯磨きセットを置いてくれる。
3. あまり動けないけどなんとか歯をみがく。
4. カップ1杯の水で口をゆすいで、歯ブラシを洗う(水をちょろちょろかけるだけではあまりきれいにならない)。
水を飲むときも似たような作業になる。
入院して初めて「吸い飲み」という介護グッズを使用したが、体が動かないときにはたしかに便利なものだ。
ストローみたいに突き出た吸い口から飲みやすく、フタがあるので脇からこぼれない。
飲水制限があるとき、吸い飲み本体に付いている目盛りで水を計量できる。
一般病室に移ってからも退院するまでずっと毎日吸い飲みを使用していた(退院日に捨てた)。
【DAY4(手術から4日目)】
朝起きたら体が元気になっていた。
半死半生だったDAY3に比べて桁違いに元気だ。
体に力がみなぎっている。
といっても、手術でダメージをうけた臓器の回復はゆるやかなので、頭と手足が元気でも、少し動くと胸のあたり(肺)に違和感を感じ、それ以上の動きを控えてしまう。
この日からかなり寝返りが楽に打てるようになった。横向きに寝たりするのが好きなのでうれしい。
手術後、寝返りを打つことは推奨されている。
DAY0の夜、集中治療室の看護師さんに「横向きで寝ることはできますか?」と確認して、手伝ってもらって、体を横向きにしようとした。
が、臓器が移動するような違和感/圧迫感を感じたので、途中であきらめた。
DAY5の今からすればDAY0の寝返りは時期尚早だった。
心臓弁膜症の手術の場合、手術直後にできなかったどんなことでも、時間がたてばできるようになると思う。
手術後毎日看護師さんが体を温かいウェットティッシュで拭いてくれる。
でも髪の毛はじわじわ汚れていく。
特に私は髪の毛がベタっとしやすいので『洗いたいな〜』と思っていた。
DAY3に晴れて集中治療室を出て一般病室に入った。
部屋の近くに予約制のシャワー室はあるのだけれども、誰もシャワーについては言及しない。
看護師さんに言えば、看護師さんがいつでも髪の毛を洗ってくれるという。
でもできれば自分で洗いたい。
実はDAY3に相部屋に付いている共同洗面台で髪の毛を洗おうとした。
が、頭がくらくらしたので半分くらい洗ってあきらめた。
【DAY5(手術から5日目)】
目覚めたとき、体はもう普通の人のもののようだった。
DAY4の朝がDAY3とまったく違ったことを思えば、特別な変化がないのは残念な気もする。
でも、つまりはすでにほとんど完全に元気になったのだと思う。まだ癒えていない傷口と臓器(主に肺)を除いて。
左腕には点滴などを簡単に通すためのプラグみたいなものが2本刺さっていていつもブラブラ揺れている。全長5cmくらい。
右脇の下や右足の付け根に大きく見える傷跡があり、上から透明テープが貼ってある。
DAY5の午後、念願のシャワーを浴びることができた。
(風呂は退院後1か月以上経たないと入れない)
【DAY6(手術から6日目)】
6:00過ぎに目覚めたらさらに元気になっていた。
毎朝6:00に体重をはかって記録しなければいけない。
あわせて体重計の隣に置いてある血圧計で血圧と脈拍も計って「血圧手帳」に記録する。
手術直後は2-3日動けなくて体重は測れなかったけど、一般病室に戻ってからは毎朝体重を量るように言われたし、医師や看護師からもよく体重を聞かれた。
最初は体重にどんな意味があるのかわからなかったけど、DAY5にわかった。
体重は体のむくみの指標で1kg以上増えるのは異常。心不全の症状と見なされる。
6時の体重測定を終え、部屋に戻ってトイレに行った。
便座に座ると目の前に大きな鏡があったので顔の状態を観察した。
集中治療室から一般部屋に移ったDAY4には、私の顔は面変わりしていた。
目が縮んで、落ちくぼんで、小さくなり、目の周りは黒っぽかった。
ゾンビみたいであまりにも怖い顔だった。
私に接する若い看護師さんたちも怖くないだろうか。
マスクを付けているのでせめて目元だけでも笑うことはできないだろうか? 手術以前はそうしていたように・・・
試した結果できなかった。
目の周りの筋肉が動かず、自分では笑ってみたつもりなのに顔は無表情。筋肉が動かなくなっている。
仕方ないので顔が怖いのはあきらめた。
(とはいえDAY5から目元に柔らかさが戻ってきた。DAY6の朝には黒目が大きくなってキラキラしていた)
食事は8時、12時、18時の3回だ。
手術後DAY4の朝まで食欲がなくてご飯を食べれなかった。
10年ぶりに2kg痩せた。
【DAY7(手術から7日目)】
「卒業試験に合格したら明日卒業ね」
と、朝、主治医から言われた。
このセリフは昨日も言われた。
「卒業試験に合計したら明後日卒業ね」
先生に悪気はないのだが「試験」という単語が私をおびえさせる。
だって不合格だったら退院できないのだ。
病院に住み込んでいるかのような先生に、この「早く退院したい!」という切迫感はわからないだろう。
ちなみに卒業試験の内容は心エコー検査だ。
病院では時間はあってないようなもの。
試験開始時間は、始まるまでわからない。
突然看護師さんから「心エコー検査ですよ」と言われて、ベッドからはい出し、エレベーターで3階から2階に降りることになる。
朝6:00に起床して8:00に朝ごはんを食べ、それ以降夕方までずっとエコー待ち。
『早く順番まわってこい』と念じるしかない。
ご飯を食べて、だらだらとエコーの順番を待っていたら、若い男性スタッフが入ってきて心肺運動負荷試験(PCX)を後で行うと告げた。
ジムで自転車をこぐような方法で何かを調べるらしい。
この試験については寝耳に水だった。
『昨日自分が何かしくじったせいで卒業試験が2つに増えたのか?』と疑心暗鬼になりパニックになりそうだった。
こういった動揺しやすい性格が心臓病の原因なのではないかと思う。
PCXについては初耳なのでスマホ検索した。
体(心肺)がどれくらいの運動量に耐えられるかテストするものだとわかった。
かなりの負荷がかけられるようで、はっきりいってちゃんとやれる自信はない。
12:00過ぎにPCXから呼び出しがかかり、体にそれ用の電極をつけて、口には酸素マスクみたいなものを付けて自転車にのった。
なにもしていない状態で基本の血圧や脈拍を測り、それを基準に負荷をかけたときの数値と比較する。
『最大の負荷がかけられたとき、私の足は止まってしまうだろう』と予想していたが、最後までこぐことができた。
先生からもほめられて、寝不足と卒業試験への不安で滅入っていた私の気分は一気に上向いた。
テストが終わった後、先生が「今日は他に検査ある?」と訊いた。
「心エコー検査です」と答えると、たまたまPCXのすぐそばに心エコー検査室があったので、「ここで待ってて」と検査室前の椅子に座らされて、先生は中に入って検査技師と話をつけて順番に加えてくれたらしい。
こんな機転をきかせられる人は病院にはめったにいない。
すべてが外界の何倍もの遅さで進んでいくのが病院だからだ。
【DAY8(手術から8日目)】
試験に合格したので今日退院することができる。
退院時間は朝10:00なので、それまでは暇だ。
夫が迎えにきてくれて一緒に帰った。
【DAY9(手術から9日目)】
入院生活のままのスケジュールで体が動いてしまう。
入院生活と同じ時間に起きて、トイレに行って、体重をはかって、血圧をはかって、リハビリをして(マンションの周りをぐるぐる歩く。1セット10分とか)、軽い朝食を食べて、歯磨きして、また横になる。
昼食や夕食を夫が作ってくれるのだが、病院食に比べて量が多く、塩分が強いので、食べにくくて困ってしまう。
その旨をやんわりと伝えて、食べきれないので残していたら、次第に味を薄くしてくれるようになった。
【DAY10(手術から10日目)】
入院中と変わらない生活で、食べて、リハビリをして、寝ている。
【DAY11(手術から11日目】
リハビリで徒歩30分×3セットをこなす。
職場まで片道徒歩30分なので『もう通える』と思う。
【DAY12(手術から12日目】
今日は雨模様でリハビリができない。
【DAY13(手術から13日目】
職場まではけっこう坂道がある。
明日から働き始めるので、リハビリで通勤ルートを歩いてみる。
半分まで15分間歩いてUターンして帰宅すると徒歩30分になる。
帰宅して血圧計で測定すると変化なし。
脈拍だけ9ポイント上がっていた。
【DAY14(手術から14日目】
初出勤。
職場まで坂道も含めて片道徒歩30分。
不安はあったがパートタイムの4時間を無事終了。
明日は7時間勤務だ。
【DAY15(手術から15日目】
朝から7時間勤務。
後半なんだか頭が重くなって眠たくなってきたが、これは心臓病の影響というよりは気温が高く蒸し暑いことによる熱中症の症状に近かったのかもしれない。
体は、かなり元気だと感じる。
そして刺激に満ちた現実世界に私は戻っていった。
執筆者:椎名のらねこ
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